ただ一年経って、親がカルトにはまってしまった子供の救済はある程度進んだにしても、統一協会との絶縁は、なんだか曖昧に済まされてしまいそうな懸念があります。どうせこれで自民党が下野するわけでもない、という下心―遺憾ながら正しいでしょう―でもあるのか、これまでの癒着への反省は見えません。
先ほど安倍をめぐる言説に論理の顛倒を感じたと述べましたが、ここでもまた顛倒があるように私には思えるのです。統一協会との悪縁を過去に遡って清算せよ、との主張は、それ自体は紛れもない悲劇である安倍銃撃を、少しでも前向きな意味のあるものにしようとすることではないでしょうか。
ところが、安倍支持の連中が往々、統一教会追及を「信教の自由がフンダララ」とやめさせたがるように思われます――安倍支持者なら普段は、人権追及を我儘と切り捨てそうなのに。しかしそれをうやむやにしては、それこそ安倍は何のために死んだのか、カルトの恐ろしさを命と引換えに教えてくれたのに。