ところで御厨先生は、昨日のNHKでもインタビューを受けておられ、私はそれを見ていました。昨日のことでややうろ覚えですが、そこでは御厨先生は、安倍銃撃事件の背景を、言論が通じないという絶望のある社会の分断に求め、ことに言葉が断片化して投げつけられるSNSの弊害を指摘されていたと思います。
率直なところ、私は御厨先生の議論に憮然とせざるを得ませんでした。言葉を軽視し、SNSの言葉の投げつけあいに乗っかって、お仲間と敵とに社会を分断するのを、もっとも率先してやっていたのが安倍一派ではなかったのか。論理が顛倒しています。安倍的なものが言論への絶望を生んだのです。
まあ安倍(的なもの)批判では人後に落ちないという自覚のある私でも、だから安倍は自業自得だザマアミロ、とは言いませんよ。社会の分断、言葉の届かない絶望から、山上がとった銃撃という手段も安倍という対象も、あまりに飛躍がありすぎます。そこはまた個別に検証するべきでしょう。