私は円城塔(歴史的な人物という意味で敬称省略)のよい読者ではなく、そんなに多くの作品を読んでいないんだけど、円城塔の作品なんかは(詩と呼ぶかどうかは別にして)物語や因果則から比較的自由な印象がある。……単純に、ぱっと思い出せる作品が、いわゆる現在形を多用して重ねていく文体だからかもしれない。