あくまで私の個人的な経験上の話だけれど、私はシスジェンダーのひとで①身体の形状から本質的に決定されないものとしてのジェンダーアイデンティティについて持続的に考えていて、②それが社会から否定される経験があるという可能性を普段から想定し、③否定された場合でもなお自分ざそのアイデンティティを持つのはなぜなのか、その場合でもそのアイデンティティを受け止めて生きるにはどうしたらいいかという観点でジェンダーアイデンティティについて考える、というのをあまりしたことのないひとは、わりと多く感じます。
なんというか、「自分はなぜこの性別なのだろう」みたいなことは考えても、そのときに身体の話とアイデンティティの話が分離されていなかったり、社会の認識の話と実際の性別の話が分離されていなかったりするひとが相対的に多い傾向があるというか…。
もちろんみんながみんなそうとは思わないのですが、まずそこから話さないとわかってもらえないと感じることはけっこう多いです(そしてそもそもそこが理解されないことも)。