日本語インターネットの言説では電通は嫌われているが、彼らの戦略十訓に象徴される消費行為を善とする価値観にはつま先から頭の上まで染まり切っているような人も多く、彼らの中で自己矛盾とその葛藤はないのかと思うことはある。
SNS上で加熱する話題の大半が「俺たちの消費行為を批判するのか」に収斂される。
情けない風景なのだが、ここまで消費行為をみっともないことではなくそれを守るための言説に躍起になる人間がいるということは、おそらく倫理レベルまで消費行為を善と認識するようになっているのではないか。(でなければ、ザンビア共和国の人物に日本語をしゃべらせダンスさせる明白な悪に対し「彼らは仕事で儲けているんだから」と擁護する言説を書けるわけがない)
電通の戦略十訓を今見るとある意味現代のある種の「倫理」を並べたみたいだ。十訓は70年代に書かれ、のちに本物の消費時代たる80年代以降が到来し、人権も社会問題も消費物目線で審査してる人が多くいるというのは……