セーファースペースの構築には外向きのものと内向きのものがある、ということなのだろう。外向きのものはたとえば「差別主義者を近寄らせない」で、それには「強気な態度での反対表明」が必要になる。つまりこれはNOの表明であり、捉え方によってはこれもまた排除である。ゆえにこれは諸刃の剣的なやりかたと言えるのだろう。
ゆえに必要になるのが内向きの実践であり、それはいかにして「YESを表明」していくか、ということになる。つまり、感覚的に判断するとNOとすべきとされてしまうような存在の権利を守ること、そのためのYESの表明。
差別が往々にして「自分の感覚と相入れないもの」に対して行なわれてきたものであることを思うと、理論を徹底的に詰めないまま「自分の感覚」のみでなにかにNOを突きつけてしまうことの危険性にも思い至るのではないか。
とにかく、セーファースペースの構築とは常に矛盾を内包せざるを得ないものであり、反差別反ヘイトの実践もまた同様に矛盾を内包せざるを得ないものになる。