連邦預金保険公社(れんぽうよきんほけんこうしゃ、英: Federal Deposit Insurance Corporation; FDIC)は、1933年のグラス=スティーガル法に基づき設立された、アメリカ合衆国政府の公社。世界恐慌で大量の銀行が破綻したことを受けて、預金の保護政策を迫られた連邦議会が、当時マサチューセッツ州で運用されていた預金保険基金を参考に創設した。
FDICに加盟する銀行について、破綻した場合には、その預金者一人あたり25万米ドルまでの普通預金・当座預金を補償する預金保険を提供している。
歴史
発端
世界恐慌に伴い米国では取り付け騒ぎが相次いだことから、1933年には全米4004の銀行が閉鎖を余儀なくされ、財務基盤のより強固な大手銀行へと吸収されていった。大手行への吸収以降、引き継がれた利用者の口座に残っていたのは、本来預け入れていた金額の85%に留まっていた。連邦議会はこの事態に対処するため、共和党上院議員のアーサー・ヴァンデンバーグ、民主党下院議員のヘンリー・スティーガルらを中心として金融関係の法令の整備を始めた。
同年5月、下院銀行通貨委員会は、100万米ドルまでの預金についてその全額を保護し、以降は段階的に補償比率を引き下げるという法案をまとめた。一方、上院銀行委員会は、保護対象の銀行についての査定を厳格化した上で、連邦準備制度に参加していない銀行については保護の対象としない、とする法案をまとめた。
ヴァンデンバーグは、いずれの法案も、保護金額に上限を定めていないことに難色を示した。彼は、臨時の基金を創設することで全ての銀行を対象とする一方、保護金額に2,500米ドルの上限を定める修正案を提示した。さらにスティーガルは、この法案に基づく諸制度を、新設の連邦預金保険公社によって運用させる条項を加えた。翌6月、法案は「グラス=スティーガル預金保険法」として通過・可決した。初期のFDIC運営にはシカゴの銀行家だったウォルター・J・カミングスJr.があたり、間もなく全米19,000の銀行をカバーするまでになった。預金保険は1934年1月1日から適用が開始された。
時の大統領であるフランクリン・ルーズベルトは、銀行経営者の責任を曖昧にするものとして、当初は個人的にこの制度に反対していたが、議会の圧倒的多数の支持を知り受け入れた…