理解しなくても差別しないことは可能では?という言葉にやはり理解は必要、と感じた方は多いみたいで、悪意がないことは重々承知ですが、それって「理解出来なかったら同じには扱わないよ」ってことなんですよね。
今回のLBGT理解推進法もそうですよね。多数派が納得した時だけ差別しないでやるよと。
自分が今まで直接的な差別をしてきたわけでもなく力になりたいと思っているのにこういう風に言われるのは辛いと思います。
でもね、マジョリティとして差別のある社会を作ってきた責任が我々にはあるんですよ。
私も一面では被害者ですが一面では加害者です。それを自覚するのは辛かったです。
辛いですが、真に公平な社会を望むなら、自分が一面では加害者であることを認めなければ問題解決には至らないと思います。
この意見を受け入れるも受け入れないも自由です。
ただ受け入れない選択をしても、マジョリティ側が「理解」という条件をつけることはマイノリティへの暴力になりかねないことは変わりありません。
マイノリティはあなた方が気付かなくても、理解できなくても、変わらずそこに存在します。差別されながらでも生きていかなければなりません。
ここ数日マイノリティの複数人が「理解よりも公平な仕組みを」と発信した意味を少しでも汲んでいただけたら嬉しいです。