なので、基本的にはマジョリティ(つまり私)はいかにしてかれらのケツを叩くか、あるいは頭を撫でるか、ということを考え実践せねばならないのだけど、これこそまさに己の無力感を実感させられるものでもあるので、ほんとうに嫌になる。そして「わかりやすくて大きな」結果を欲し、雑な振る舞いをし始めてしまう。大義のためには犠牲もやむなし、みたいな。