気にせざるをえない者や気にすることができる者が「誠実に振る舞おう」とするがゆえに生じてしまう亀裂や軋轢があり、それらはひとえに社会構造が原因なのだけど、その社会構造を変えるには気にせずに済んでいる者の力が必要で、そのためにはある種の「誠実ではない振る舞い」も必要になることがあり、それもまた亀裂や軋轢の原因となってしまう。なぜ「気にせざるをえない者」と「気にすることができる者」だけが苦しみ傷つけあい、その一方で「気にせずに済んでいる者」が文字通りなにも知らないまま楽しく過ごし、気にせずに済んでしまうがゆえに容易に築くことができる「絆」を誇り笑いあう、そんな状況が存続しているのか。くるしいね。ほんとうに。