その後大堀へ移動。ここも帰還困難区域ではあるものの、一部窯元の周辺は避難指示解除されるという。そこでも、案の定高線量。全体的に0.8〜2.5μSv/hで、場所によっては5μSv/h近い数値が出る場所もありました。除染中だったため大量のフレコンバッグがありましたが、そこに書かれていた表面線量は3μSv/hを超えるものもあり、やはりこの辺りの汚染は酷いと痛感。
SugarNatさんと別れ、大堀小学校跡へ。つい先日、遺された少年像が移動されたと山川さんの投稿をシェアしましたが、移動して「防災センター」を作るのかと思えば、出来たのは「ポケットパーク」。つまり、“大堀小学校がそこにあった”というただの記念碑的なスポットを作っただけでした。その脇には、雑草が生い茂って荒れ果てただだっ広い更地が拡がるのみ…一体、何のために、あんなに急いで五輪開催直前に校舎を解体したのか。「何だよこれ」とただただ叫ぶばかりでした。↓