それが論理なのか技術なのか、
人なのか集団なのか、
[同じ「仕事人間」でも、技術に帰する人と集団に帰する人では、重んずるとこはかなり違う、そんな感じ]
揉めるコンテンツの代名詞「政治・宗教・野球」って、前述の「帰する要素」のいくつかをワンセットで提供してくれるので、それを受容した人間には便利なんだろうけど、
議論が難しくなるのは、話の食い違いが出やすくなるせいかもしれない。
[とある選手のプレイについて話していても、その技術論を語る人と、プレイそのものの巧みさを語る人と、その人の人柄を語る人と、その人の使い方を語る人がいて、
それを包括的に理解できる人は少数派なんだけど、とりま同じ選手や所属組織のファンなら分かり合える的な]