支配についての精神分析学的究明は、フロイト以来、何回も何回も再公式化されているが、いずれの場合も、父と息子の葛藤を根本的メタファーとするやり方を脱していない。精神分析学的批評家たちの中には、家父長的権威は結局のところそれほど悪いものではない。何故なら息子たちは、その掟の限界のみならず利点をも受け継ぐことができるからだ、と結論づけるひとたちもいる。一方、抑圧を称揚することは、本能が持つ破壊的力を分解してしまう危険性があるという主張をもって、権威に対するこのような譲歩に反対を唱える人たちもいる。しかし家父長的な掟に反対する彼らの姿勢は、人間の破壊性の問題を回避し、ただ人間本性への信奉を言い募ることを基盤にしているため、私たちが人生と歴史について持っている全知識をぶつけたなら、実際に分解してしまいそうに思えるしろものにすぎない。(ジェシカ・ベンジャミン「愛の拘束」より)