藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月19日 - )は、日本の俳優、タレント、武道家、声優、歌手、探検家、実業家。本名は藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)。旧芸名は藤岡 弘(読み同じ)。
1971年から1973年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の本郷猛役で主演を務め、一躍人気俳優となる。また、日本人として初めて全米映画俳優組合(SAG、現・SAG-AFTRA)のメンバーとなったことでも知られる。2002年(平成14年)に川口浩の後任として「藤岡弘、探検シリーズ」が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている。
愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。個人事務所である株式会社SANKIワールドワイド所属。
略歴
1946年(昭和21年)2月19日、愛媛県警の警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道や華道、琴の師範だった母との間に生まれる。当時の生家は駐在所で、近所には四国八十八箇所霊場の第四十四番札所である菅生山 大覚院 大寶寺があり、母はよくお遍路さんに「お接待」を施してもてなしていたのが印象的だったとしている。生まれたばかりのころは病弱で、肺炎を患ったときには「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影されたほどだった。この時は母の献身的な看病で一命を取り留めるが、小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だった。6歳のころから病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服する。少年時代から滝行も経験している。
小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされた。そんなある日、我慢できなくなって相手に反撃し、重傷を負わせる。すぐさま母の知るところとなり、帰宅するなり仏壇の前に連れて行かれ、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」と、母子心中も辞さない覚悟を示され、反省を促された。弁解しようとすると「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認めなかった。その迫力に、武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したという。また、父との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ…