LGBTQ+や外国人に関することでよく言われる「多様性を認めるのであれば『多様性を認めないこと』も多様性として認めるべきだ」という主張は所謂寛容のパラドックスというやつですが、これは主目的を自己否定するものなので「多様性を認めないこと」を多様性としては承認されませんね。「自由を認めないのも自由だ」も同じ。