熊谷晋一郎「供給が足りていないならば、みんながもっと働いて商品を生産する必要がある。けれども現在、足りていないのは需要なわけですから、それはみんなが「我慢しすぎ」だということではないでしょうか。本来であればもっと需要があるべきところを、みんなが我慢して買わないものだから、経済が回らなくなっている。
非常に素朴かもしれませんが、そういうふうに考えると、いま問題にされるべきは個々人の「生産性」ではないはずです。むしろ個々人の「必要性」をもっと言わなくてはいけない。みんなが我慢して、本当は助けてほしいのに「助けて」と言えないし、本当はもっと生きたいのに「これ以上生きなくていい」と言わされている。」
「必要性と生産性というのは、ひとりの人間に備わった二つの側面ですが、どちらに価値が宿るかといえば、生産性ではなく必要性だと思っています。なぜかといえば、生産性というのは誰かの必要性を満たしたときにのみ二次的に価値が発生するからです。
誰のニーズも満たさない生産性にはなんの価値もありません。
だから、二つを比較するなら明らかに必要性に優位があるのです。その順序を間違えてはいけない。言い換えれば、つまり「堂々と生きていていい」ということなんですが。」