↓当事者はとりあげても「活動家」はとりあげない、というのは、日本に通底した差別や政治に対する姿勢と根っこを同じくするアレ、という感じがする。
構造を見ない。
社会や制度の変革ではなく「個人」の意識の話にまとめようとする。
みたいなやつ。
活動家として扱えば、直球ダイレクトに社会制度の問題として取り上げざるを得ないけど、当事者個人という取り扱いなら、個人の語りを物語として回収し展示して、そこに心を寄せた「個々人の動き」を喚起して……という、「私たち一人ひとりの意識」に帰着させやすいというか。
尊厳ではなく理解の話にさせられたり、労働者の権利の話が「論」として消費されたり、そういうものと同じ流れ方するベルトコンベアに乗せられている感というか。
そういう気持ち悪さは、たしかに満ち満ちている感じあるなぁ。