理不尽な怒りであって差別言説が全く正当化され得ないのはもちろんだけど、それとは別の問題として、私はノンバイナリーのひとを差別してる「フェミニスト」のなかには、その人自身がノンバイナリー的な感覚を持ってるひと、何かが違えばノンバイナリーのアイデンティティを持っていただろう人がいるのかなと思ってる。地域や時代によって「ノンバイナリー」という言葉にたどり着けないまま生きてきた、あるいはカタカナの最新の用語へのアクセスのしやすさがなかった、環境や社会階層などの問題でノンバイナリーとして生きたくても生きられる可能性が想像できなかった、などの理由で過剰にノンバイナリーを否定、というか否認しようとしているように見える時がある。男になりたかったわけでも女になりたかったわけでもないけど女である他なかった、という語りをしばしば見かけるので。たぶんこれはすごく社会階層の問題でもあるように思う。もちろんシンプルな悪意でもって差別してる人も結構いるとは思うけど。