鈴木道彦はサルトルの影響でアルジェリア民族解放戦線(FLN)に関心を抱くようになり、帰国後在日の問題に関与するようになった。
加藤周一さんの留学時代は1950年代初頭だったが、まだアジア系の留学生がほとんどいなかったこともあり、実は身辺、旅行先まで詳細に警察にリスト化されていた。
夏休みに長期かけて、ロマネスク建築(基本、地方にある)を見て回った時の旅程まで記録されてあった、というから凄い。(これ、当然電子監視下前)。
つまり、当時フランスでも得体の知れない外国人(加藤さんは国費留学生だったけれども)は、「潜在的犯罪者」だった。
フランスは革命の国、政治秩序への同意調達が弱い国ではあるが、反面警察・治安権力は、かなり暴力的。内務省管轄の重火器装備の治安軍もある。
蓮実・渡辺守章以降のフランス学は、こうしたフランスの一面(かなりミクロ)しか導入していない。
これが大衆化すると「おフランス」。
新左翼については、旧左翼との関係、複雑な問題を含む、ここではすべては扱えない。
しかし、「ホモソーシャル」+「ミソジニー」爆発空間であったことは間違いない。
日本のフェミニズムが「新左翼」批判として出発したのは偶然ではないのです。