回復という言葉を使うけれど、もちろん今の社会環境への「社会適応」ではない。
戦時中に「非国民」を弾圧する一般の人たち、そして戦後に自分のやったことをわきにおしやれる人たちは、不適応はないかもしれないが「回復」していると言えるだろうか。それは違うだろう。
回復とは、奪われていたり、あるいは自らも近寄ることをしなかった「他者の文脈」を自らに重ねるようになることだろう。
それはこの世界における自身の文脈の多重性の回復だといえる。
孤立して単体で考える自意識が自分なのではなく、世界と直結した文脈の重なる場所が自分であり、文脈の重なりこそがそれまで関係ない他者だったものの痛みを感じる「神経」を備える身体だろう。