ツイッターの何がしんどかったのかという自分の気持ちに、今日また少しだけ気づいたので書いておく。
もちろん、差別や偏見、攻撃したりされたりというのもこれまで書いてきたとおりしんどいのだけど、それだけではなくて、たとえば今回の大阪府知事選をめぐる報道などに触れたとき、えも言われぬ、それこそ怒りやあきらめや悲しみといった感情が爆発しそうになって、でもそれをそのまま外に出したり、とりわけSNSに投稿したり、その中で特定の誰かを攻撃したり不当な非難をしたりするようなことをしてはいけないと、それを抑えようとする感情や理性のようなものが同時に働いて、そのことがとてもしんどいんだなと。
だから根本的には現実の問題ではあるのだけど、現実とSNSとはある意味で地続きになっていて、それこそここで大阪府知事選のことを目にしなければマストドンをしながら大阪府知事選のことを考えたり、そのことについてここに何か書こうと思ったりすることもそこまではなかったのかもしれないしそうではないかもしれないし、まあ、何が言いたいのかわからなくなったので、ここまで。