和暦、というか暦という物そのものが「その信仰対象に何かあった日」で起算されるので、天皇神道をやめない限り本邦が和暦を捨てることはないじゃろう。我々は国教として天皇神道を強制されているのじゃ。
架神 恭介の『完全教祖マニュアル』で(思想的にはぜんぜん好きな人じゃないが)、「信仰には意味がなくて日常に支障のある縛りを設けるといい」と言っていて、それは確かに当たっているかもしれないと。
日常に支障が出た時、人は否応なしにそれを思い出す。面倒だからそれに適応するように生活をデザインする。そこから独自の信仰スタイルが生み出される。。。