「推し」って言葉を好かないのは松谷信司が「イエスぱねぇ」とか「推しが尊い」とか言って信仰までファン活動に例えているのが虫唾が走るぐらい嫌いだからだ。面白い例えで耳目を集めるやり口が本当にくだらなくて「話を聞いてもらうきっかけになれば」とか正当化しているのも低級で嫌いなんだよ。ただ面白がられるだけ。笑われているだけなことに気づかないでいろ。...たしかに、推し活ガチ勢の推す対象がある日突然推せなくなったら精神の安定と生活が危ない。でもそんなことはいくらでもあるものな。アイドルだったらスキャンダルとか、漫画だったら打ち切りとか飽きとか。だって推すことで充足するような即効性ある支えが必要な生活は生活のほうが間違っているだろう。支えを求めるより逃げた方がマシ。「誰かを崇拝してしまうとそいつに囚われて自由になれない」ってスナフキンも言ってるでしょ。世界把握と価値判断において自分が中心にないと、とてもあやうい。それは信仰にしてもそうで、自分が「推す」ことにはなんの価値もない。完全に充足した存在である神からしたら人間の推しとか全くなんの価値もない。自分が中心にいたらそもそも何も推すものがないだろう。