不健全図書とかの話を見かけての所感
個人的には「不健全図書」という名前そのものが不健全だと思っている。いや「不健全」という概念自体が不健全な様にも思える。勿論前提として己の意に沿わない物は寡からず存在するだろう。然し乍らそれを「不健全」という定義の曖昧で便利な言葉で括ってしまうのは、一種の「逃げ」や「思考放棄」だと考えられる。寡からずも相手にとって不名誉なレッテルを裁定者が貼ろうというのなら、それ相応の責任が発生するのが道理ではないだろうか。
然し乍らその責任は裁定者には発生しないようで、そこには非常に違和を覚えざるを得ない。またそのレッテルの基準が非常に不明瞭な事も拍車を掛けている。
そもそも「不健全」とは何なのか。そこについて一度でも考えたことがあるのか甚だ疑問である。元より「不健全」の概念の定義が「常識」に担保されているとするならそれは破綻していると言えるだろう。
では何故破綻していると言えるか。それは「常識」というものがそもそも、数多ある「偏見」うち幾つかを抽出し寄せ集めた概念の集合体を指すからである。つまり「常識⊂偏見」ということである。ということは「『常識』に沿って定義」しています、と喧伝して回るというのは自らの偏見でもって気に喰わないものに対してレッテルを貼っている、と喧伝して回っているのと何ら変わらない。
そもそも世の中の大多数の要素なんて凡そ自分にとって都合の良いようには出来ていない訳で、その行為自体が「不健全」と言っても差し支えないだろう。
そう考えると「毒も喰らう、栄養も喰らう、何なら皿まで喰らう」くらいの心構えで腰を据えてる方が一番、「健全」なのではないかと思えるのです。
…ただこの所感も私という一個人の「偏見」でもってつらつらと書いただけなので所詮チラ裏です。
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紅孔雀? (redpeacock78@msky.redpeacock78.com)'s status on Saturday, 14-Jan-2023 14:43:49 JST紅孔雀?