左派が求めるのは一緒に考えること。共に重荷を背負うこと。知らない方が楽だし無責任でいられる。それを曲げて真実と向き合って、と呼びかける。そりゃウザがられるでしょ。歓迎されるわけがない。右派はそんなこと求めない。一緒にネグること、それだけ。徹頭徹尾、より楽な方へ楽な方へ人を誘惑する。本質的に違う。私だってそっちに行きたいと思うこともある。明らかに楽だもの。
ただ、私を繋ぎ止めてるのは、そんな自分を許せる気がしない。そんな醜い生き物には絶対なりたくない。逆に言えば、それしかない。やり方を、工夫を考える必要がないとは言わない。ただ、そもそもこれは公平なゲームではないことをはっきり認識しておくことは必要だ。普通に考えれば、勝負にならない。結局、それでもやるのかどうか、自分自身が如何生きるのかという問題。