まじめに社会について考えてほしい時に、例えば気の利いたジョークなんかを取り混ぜて笑いをとるなんてことは、得手不得手はあるにせよ、できんことはない。でも、うまくいったとして、その時に得られる反応って、求めてた反応かなって考えるとすごく違和感ある。
笑いは確かにいろんなことを飛び越えさせてくれる。でも違うんだよ。一緒に考えてほしいの。一つずつ積み木を積むように考えて、「ちょっとこれ、違うんじゃない?如何してこうなるの?」って疑問をぶつけてほしい。時に、こちらの考えをこそ変えてほしい。つまり、一緒に考えてほしい。
動員できればそれでいい人たちと、同じやり方では作れないものがある。私たちが本当に必要としているのはそういうことでしょう。「賢くて、うまいやり方」、やる前からズレてしまうやり方に、なってない?