そうしたさまざまな要素の絡まり合いで現実の生殖をめぐる不正義は存在してきたはずで、にもかかわらず「出産能力」という「身体」にのみこのディストピアを集約させてしまうのは、ターフの「sex-basedな女性の権利」みたいなロジックととても親和性が高い気がする。
番組のなかで「侍女の物語」がUSの状況と重ね合わせられながら語られ、リブの成果として1972年の優生保護法改悪阻止が語られるとき、そこであった日本の女性運動と障害者運動の軋轢/連帯が語り落とされる時、不安になる。あとそういう『侍女の物語』が「代理母の話でもある」と紹介され、代理出産の商業化批判に、セックスワーク批判に番組内で話が進む時、いろいろどうなのかなと。