立憲民主党の支持者のなかで泉代表の神社参拝を擁護している人が結構いるようなんですが、おそらくこうした「寛容さ」は差別に対する「寛容さ」と繋がっているのではないですか。痴漢くらい一々騒ぐな、ちょっとだけなんだから触らせてやればいいじゃないか的な「寛容さ」そう言う彼らが立憲民主党のなかの「左翼分子」とみなしているのは、反差別運動の担い手とそれに協力した党員たちでしょう。そのうち「行き過ぎた反差別」とか言い出したりして?