右向けば、カルト信仰に勤しむ奴らや金の匂いに集うハイエナ、逆張り大好きのリベラリズムを履き違えた連中ばかりになり、左も左で自己決定権を錦の御旗にして社会的弱者達の力を削ぐ奴らが跋扈し、象牙の塔の中から規範を壊せ、撹拌せよと無責任に囃し立て、社会的絶対安全地帯から市井に生きる人らの背後から弾撃つことに快感覚える自己実現中毒者と、ほとほと嫌になる。しかも右も左も関係なくそいつらみんなが、科学的帰結を無視して、ダーウィン全否定のミソジニーという共通項を持ってるという悪夢のような展開。最後に残る差別は女性差別だという言葉の重さを噛み締める今日この頃である。
昨年末に、タモリが「新しい戦前が始まる」と言ったのはなかなかであったが、現実問題として既に新しい戦前は始まっていて、報道含めて社会全体で「起こせる戦争を探している」ような状況に陥ってるのは結構絶望的な光景だ。この年末に、かつて、日本の遠いところで戦争起こしたい欲望を隠さなかった、安倍晋三の後見人であったJR東海のドン葛西敬之の闇を描いた森功の「国商」を読んだが、葛西の望んだ社会、政治状況が、葛西とその最高の使いっ走りだった安倍晋三の死後に実現しそうになっているというこの現実をどう受け止めたら良いのか。我々に残された時間は思っているよりも少ない気がしている