年内最後の謡のお稽古は祝言謡を皆で。
それにしても興味深いのは、かつて当たり前だった謡と囃子の拍子が合わない(というより合わせない)奏法がどんどん廃れ、「拍子が合う」のが当然になりつつある、という問題だ。
間を読み切らせない鼓の手の緊張感VS奔放な謡。何しろ拍子は合わない。むしろズレる方がカッコいい(ただし難易度は高い)。そういう感覚が薄れている。文楽でも浪曲でも、古典芸能では基本的に拍子<節だったものが、拍子>節に変化しているというのだ。
明治以降、集団(国民)が一体となって行動することが求められ、常備軍から学校まで、歩調を合わせた行進を繰り返し訓練する、といった行為の積み重ねの結果ではないか、とぼんやり考えている。
合わなくていい/合わない方がいい問題は根が深い。