ちゃんへんさんの時も長文を書いて結局アップせず仕舞いでしたが、これは個人的な経験も含めて思い出すのがしんどいからであって。
川崎市は今でこそ「共生のまち」と謳い、日本初のヘイトスピーチ罰則条例を導入した行政ですが、それはこの京浜工業地帯で様々な場所から労働力が流入する場所で、色々な過去があったからで。
私は幼稚園の年長さんから朝鮮学校に編入したのですが、理由は日本の幼稚園で私の出自を理由にしたいじめに遭っていたため。
腕っぷしの強い2つ上の兄がおなじ幼稚園に通っていた際には起こっていなかったことが1年続いたため、色々あって近所の幼稚園から桜本まで通うことになったそうで。
小さい頃の事なので、あんまり詳しくは覚えていないのですが。
そういう所から始まり、大韓航空機爆破事件の際には登下校に気を付けたり、チマチョゴリの学生が切り裂きに遭ったり、缶詰落とされたりで、必ず集団で登下校するようになったりですね。
なんかしんどくなってきたからアレですが、在日コリアンというエスニックマイノリティ集団はそういうトラウマというかネガティブな経験を子供のころから一通り体験してるわけです。