新自由主義的エートス―というものがあるとすれば―、「選択と集中」、「トリクルダウン」、「閣議決定」「(労働者を抜きにした)ステークホルダー」のいずれにおいても中核となっているのはこの「寡頭政」(origarchy)を全身全霊で確立させようとする強固な意思でそれが貫かれていることだろう。
グローバル資本主義とこの古代以来の政治的概念がどれだけ親和的かは、例えばアンダーソン『周縁のマルクス』に見られるように、南北戦争分析でこの寡頭政概念を南部奴隷制の特性としてたえず適用していることからもわかる。
「南部は、つまり寡頭制は、戦争によりよく適している。なぜならこの寡頭制は、生産的労働は全部黒人の肩にかかり、400万の「白人やくざ」は職業的略奪者(filibusterers、不法潜入者、富や快楽を求めてあちこちを回って歩く者、不法戦士)であるような寡頭制だからである。」
金融グローバル資本の論理を最優先させる現代のフィリバスタラーズたちにとっては、ローカルに現実に生き労働している個々の人間たちの生活(=生命)は、それが彼らの所有する株式の上下に結びつかない限り、実はどうでもよいのである。