前も似たようなことを書いたが,「人権(スラング)」みたいなのをオフィシャルな場で出すのは良くないというのはそれはそうなんだけど,この手の隠語が生まれる拝啓には単なる冷笑や不真面目の結果ではなくて,「『無いもの』の代名詞として真っ先に『人権』が想起されるような目の前の現実」に対する名もない多数の痛憤があるわけで,その心理を無視した”正しい言葉遣い”には与したくない気持ちがある.