《マジョリティとは、気付かずにいられる人/気にしないでいられる人》
それはそうだと思うが、自分がマジョリティでいられる場所で生きていくというのは、ある意味自分を守るためでもあると感じる。
例えば、憎悪が当たり前のTwitterでは、それを否定する人や異を唱える人は、Twitter上ではマイノリティになる。だから叩かれる。
憎悪がマジョリティのTwitter内で戦うのに、自分がボロボロになってまで個人がやることではないと思う。
(ここでいう憎悪は、憎悪の内容ではなく、憎悪する行為を行う人をマジョリティとしています)
憎悪の内容について戦うなら、Twitterでなくてもできること。
Twitterからマストドンに逃げたから気づかずいいられるとか、気にしないというわけではない。
前にも書いたけど、アンティファの集会でオルト・ライトの青年が殴り込みにってボコボコにされた事件で、オルト・ライトの青年が後に言った言葉が印象に残っている。
「自分が主張することを、自分の田舎で言ってもボコボコにされることはない、寧ろ称賛される。自分は間違っていた。ああいうこところに行って殴り込みに行くのは間違っていた。自分のところで主張するべきだった」