:hyuki: 忙しさの中で、悩みごとの中で、心を病みそうになっている方へ
朝の散歩をしながら、いつも音声入力で文章を書いています。書いた文章はそのまま「結城浩の作業ログ」のほうに、よもやま話として流しています。
マストドンの方にも書いてみるのは良い習慣になるかもしれません。
* * *
現代では、特にIT業界では、心を病む人がずいぶんいると言う印象があります。私のところにときどき質問のメッセージがやってくるんですけれど、いくつかは答えますが、答えないものや答えられないものもたくさんあります。
その中で、悩み事で心を病みそうになっている若い方からのメッセージがしばしばやってきます。
私自身も若い時代には、職業的プログラマをやっていましたので、読みながら大変共感したり、胸が苦しくなったり、胃が痛くなったりすることが多々あります。
真面目に、誠実に仕事をしている。トラブルシュートやバグ修正や、もっと一般的な問題解決をしようとしているのだけれど、なかなかうまくいかない。本当にうまくいかない。長時間働いてもほんのわずかしか解決しない。そんな中で若い人が心を病んでしまうのは、全く無理もない話だと思います。
私の場合には、家族がいてくれた事と、信仰が私を支えてくれたと思います。辛い時期は、本当に辛くて、しかもその辛さをうまく表現できなくて、大変でした。本当に大変でした。
今悩んでる多くの人が私と同じパターンとは思いませんけれど、かなり共通している部分があるんじゃないかと想像します。
IT業界に限った話では無いかもしれませんが、IT業界の場合には、特に若い人が多いと言う点と、変化が激しいと言う点と、そして自分の心が重要なリソースになっていると言う点がポイントになっているんじゃないかと思います。
自分の心がリソースになっていると言うのは、例えばプログラムを書くにしても、ある意味では、何もないところからコードを作り出さなければいけないわけで、そこで使っているのは自分の心や頭になるわけです。物理的なものを動かすのとは違うと言う事ですね。
* * *
先ほど、家族と信仰と言う話を書きましたが、そこに共通するのは「自分以外の存在との対話」ではないかと思います。
自分の心と言うリソースを使って仕事をした後、その同じリソースを使って自分を回復させると言うのは難しいことです。そしてまた無理がかかることでもあります。ですから、自分以外の存在、信頼できる他者との対話と言うのは、本質的に重要であると思います。
悩み事のメッセージに対してですから、私は多くの場合、誰かとおしゃべりをしましょうと言うアドバイスのようなお勧めをします。何でも言うことができて、むげに否定されたりしない相手の存在は、心の健康にとても大切であると思います。
* * *
それから、これはIT業界の人に特に言えることなのですけれど、論理的な考えを進めることで、自分の心情や心のあり方を整えるのには限界があると言うこと。
論理的に突き詰めて悩み事を解決すると言うのは、あるレベルまではものすごく有効に働くのですけれど、あるレベルを超えたところからは、逆効果になることがあります。
と言うのは、論理的な理屈で考えることの大前提として、自分が確かな情報大半把握していると言うことが必要になるからです。
これをやったらこうなるだろうと言う論理的な推論を使って何かを解決するためには、本当に解決するためには、自分が全知全能にならなくてはいけなくて、それは無茶な話です。
ですから、誠実で真面目な人ほど心を病む危険に直面しているともいえます。
ちゃらんぽらんになることを勧めると言うと直截すぎますけれど、自分の限界を早めに見極めて、誰かに助けを求めたり、あるいはそこそこ良い加減になったりと言うことが、長期的には大きな助けとなるのだと私は思っています。
「自分は人間であって、コンピューターでもロボットでもない。ましてや神様ではない」と言うことを自覚するのは、実は素朴だけれど、とても大切なことなのだと私は思います。
以上、誰かの何かの参考になれば、と思って書きました。