山本太郎の政治家として特異な点は、もちろん反緊縮財政論の旗手という点もあるが、やはり徹底した大衆政治家である点にあるのではないかと私は思う。
大衆政治家だと名乗るのは簡単だが、実質を伴おうとすると簡単なものではない。大衆というのは決して綺麗なものではなく、往々にして闇の部分も抱えている。差別意識を持っていたり、陰謀論耐性が低かったりするのが大衆だ。れいわ支持者に困った人達が多いというのは大衆に困った人達が多いというのと同義である。
そんな闇を抱えた大衆に対して、俗情に阿って差別や陰謀論を肯定したりせず、しかし見下したりもせず、粘り強く対話し、説得を試みる。山本がそういう姿勢を取っている事は日本各所で行なっている街宣活動を見れば明らかだ。大衆迎合とは違うリベラル大衆政治家であろうとする困難な試みに挑んでいる、日本唯一の政治家が山本太郎であると言うと褒めすぎかな。
それにしても、山本のような政治家が登場して新たな野党を結成した時に、右翼や政府与党以上に煮えたぎる憎悪を剥き出しにして排斥しようとしたのがリベラル派と呼ばれる人々だった事ほど個人的に失望した事はない。山本の登場以来、私の中でリベラル派の存在意義はどん底まで失墜してしまっている。(続く)