(盛大なネタバレはしてないけど、知りたくない人は読まない方がいいかもね)
よかった。映画的には物語が引っ張っていく形で、映像的には正直普通という感じだったけど、2時間41分は長いとは感じなかった。自分のIMDb的評価は7-8ぐらいかなぁ。自分的にはかなり良い評価。
#映画 『沈黙-サイレンス-』本予告
https://youtu.be/0cUtOR-DL1A
現在AbemaTVで無料視聴できる(あと4日)
https://abema.tv/video/episode/162-27_s0_p1
あらすじとしては、島原の乱後の日本、高名な神学者のフェレイラ神父が日本で棄教したとの情報がローマに入り、二人の弟子がそんなはずはないと危険を顧みずキリシタン弾圧まっただなかの日本に潜入し事実を確かめに来る…という話。
以前この小説「沈黙」を読んだときはあまり気にしてなかったけど、このお話は実話に基づいてる。記録や資料を追いつつそこには書かれていない隙間を想像で埋めていった感じ。遠藤周作の小説って実話に基づいてるものも少なくない。むしろ個人的には遠藤周作の完全な創作物は…なんか読んだことあるかな?
ロドリゴ神父=ジュゼッペ・キアラ神父=岡本三右衛門
亡くなった時に建てられた当時の墓碑が調布市の有形文化財として残ってる。現在のイタリア、当時のシチリア王国のシチリア島北西部の大都市パレルモで生まれた。東京都文京区あたりで1685年に岡本三右衛門として84歳で死没。
フェレイラ神父=沢野忠庵はそのまま本名
「沈黙」どおりの人生を送る。ポルトガルの首都リスボン郊外の小さな町トーレス・ヴェドラスで生まれた。1650年長崎にて沢野忠庵として70歳で死没。長崎で埋葬されたが後に改葬され現在は東京に墓がある。
「井上様」も実在の人物
現在の千葉県成田市の下総高岡藩藩主の井上政重。徳川家康の家臣の息子。この「沈黙」は3代目将軍の家光に仕えていた時の出来事で実際にキリシタン禁教政策の中心人物。
1万石の大名だから、当時としては十分に重要で高い地位にいるけど、小説や物語になるような日本の歴史を動かすほどのビッグな人ではない。静岡で生まれた「井上様」は1661年77歳で死没。
それぞれに事情と信念と葛藤がある。キリシタン弾圧を始めた豊臣秀吉、それを受けついだ徳川家康、「沈黙」時代の将軍の家光にも当然キリシタン排除を行った事情と信念と葛藤がある。
そしてこの話の中で冷徹にそれを実行した「井上様」にも当然ある。海外で言われてたような「井上様」とナチスのアドルフ・アイヒマンの比較は、似ているようで違う気がする。
それぞれの話をよく調べて両サイドの思いや信念を知ると、誰が悪いとは一概には言えなくなる。日本史、世界史をつらつら眺めてるとそう思うことはよくある。
一つ謎なのは、映画は(遠藤周作は?)なぜ「井上様」が元クリスチャンだったらしいと言われてる説を作中で描かなかったのか?西洋の諸科学にも関心を寄せていたらしいことも。
「井上様」もまた彼なりに複雑な思いと苦悩や葛藤を抱えつつキリシタン弾圧にあたっていたことがわかれば、それだけでさらに話しに深みが加わっただろうに。映画でのイッセー尾形の演技もまた全然違ったものになったのではないかと思うと、ちょっともったいない気もした。(これは小説には書いてあったんだっけ?詳細忘れてしまった)
こうしたものを見て、読んで、自分がそこから学べるのは、ロドリゴ神父やフェレイラ神父にとってのキリスト教を捨て、それでも生きるというのはなんだったのか?
自分みたいな一般人に例えて言えば、親兄弟友達子供好きな相手、仕事、趣味、すべての持ち物、自分の信念、考え、すべてを捨てて、目の前で殺されようとしてる人たちを助けるだろうか?という問いを考えることぐらいだろうか。
キリスト教を捨てた彼らはの決断は果たして「心の弱さ」なのだろうか?それとも「強さ」なのだろうか?
すべてを捨て死んだも同然な状態でさらに生きる意味はあるのか?でもそうして自分が生きながら死ぬことで、自分を助け慕ってくれた人々が助かる。この葛藤は想像の域を超えるものだと思う。
そしてこういう一見無意味で無駄で考えても仕方がない問いをムニャムニャとよく考えてみることで、彼らが持っていたような自分の信念とか考えというものが形成されていくのだろうなと思う。
#映画 #読書
Embed Notice
HTML Code
Corresponding Notice
- Embed this notice
ソーダ (soda@misskey.soda-net.com)'s status on Thursday, 08-Dec-2022 21:12:35 JSTソーダ