「日本人」という言葉だって明治期になって広がったわけで、そもそも江戸時代には「藩」の意識が強かったし、各地を「くに」といっていたわけだし。たとえ一時的に鎖国になっていても、実際に制限された中でも他との国交は続いていたわけだし。インドから大陸や朝鮮半島を経由して伝わってきたヒンドゥー教や仏教のカルチャーが奈良というかつての首都を作ったわけだし、その時代からすでに通訳者や移民の人々は活躍していたわけだし。同じ沖縄県でも、沖縄と宮古と八重山ではそれぞれの言葉やカルチャーも全然違う。宮古の中でも池間の人々は自分たちを「池間民族」と言っていて、やっぱり差異がある。
文化だけではなく、言語も、文化・風習も、食べ物でさえも、決して「単一」とは言えない豊かな多様性もあるわけだから、そういったことをもっと深掘りして「日本人とはなにか」を考えて行ってほしい。
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下地 ローレンス吉孝 (lawrenceyoshy@fedibird.com)'s status on Saturday, 03-Dec-2022 19:51:48 JST下地 ローレンス吉孝