ただ生きてるだけで抵抗だ!って思想、それが出てきた背景も理解するし、どこからが抵抗でどこからがそうでないかを裁定する暴力性についての問題意識も共有するけど、フーコー的な生-権力とか考えると、まさに資本主義にとって効率の最大化イデオロギーの補強にしかならないこともあるので、単なる自己啓発に堕してしまいがちで、その点を危惧している。こうした「危惧」も単なる「否定」や「マウンティング」と取られなければいいが……。