差別をされる側と差別をする側を言論空間に平等・公平に上げるというのは、差別をする側を利する行為であり、公正(正義)に資することはないのではないかと考え始めました。求められているのは、高所からの両者への傍観者となることではなく、どちらかの立場を選ぶこと。その際、私自身障害者というマイノリティ性を背負っているものとして、差別をされる側の立場に立たねばならないのではないかと。