「アーレントはアイヒマンを「単なる組織の歯車」としても「平凡な小役人」としても「ロボット的な官僚」としても描いていない。組織内で昇進を重ねるためには貪欲に何でもする、そのためにはユダヤ人を自らの出世の道具としてしか見ない。そういう「異能の」ナチ官僚としてアイヒマンを描き出している」
「シュタングネトが『エルサレム以前のアイヒマン』で詳述したサッセン・インタビューについても、アーレントはすでに『エルサレムのアイヒマン』のなかで言及しているし、アルゼンチン時代の発言についても分析している。それら諸々を含めたうえで「悪の凡庸さ」という概念を提示しているところがミソ」