画像投稿テスト。軍艦島の南端近くの西岸沿い、見学コースのつきあたり。
この付近に、中国から連行された労務者の宿舎がありました。東シナ海の荒波を堤防越しに被る最低の立地。総勢204名と外務省の記録に残っており、内15名が死亡。三菱マテリアルは2016年6月、強制労働犠牲者との和解および謝罪を公表しています。
一方、強制連行された朝鮮人労務者の宿舎は反対側の北端近い、やはり波をかぶる西岸沿いでした。こちらには未だ謝罪もありません。
階級別(と言ってしまいましょう)に住居区画が峻別された軍艦島で、両者共日本人職員や鉱員とは隔離されていました。「軍艦島の真実」と称する歴史洗浄で出てくる「朝鮮人労務者の虐待を見なかった」という証言者は、そもそも見られる位置に住んでいなかったのです。日本人区画に住んでいた朝鮮人社員は、待遇の良かった技師に一般採用で就職した人や家族帯同者。更に、終戦後労働三法の施行などで労働環境が劇的に改善したので、戦後の体験をもって戦前戦時中の惨状を推し量る事はできません。
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1945年への道 (wayto1945@mstdn.jp)'s status on Saturday, 26-Nov-2022 16:37:08 JST1945年への道