日本国内のある特定の限定された、自分の住む地域の文化や風習の一部に生を受けてから今まで接してきた、慣れ親しんできた、生まれてこのかた日本に住んでいる、生活習慣を身に着けている、ゴミ捨てのルールを知っている、日本人はこう考え行動するというものが自分なりに分かっている、そういうものが日本人の条件であるならば、わたしは日本人という事になる。日本に生まれ日本で育ち日本で生活し追い出されなければきっと日本で死ぬだろうから。
わたしは中国籍者であるが、ルーツの文化や歴史や言語を学んできたに過ぎず、その知識の量や接してきた時間は圧倒的に所謂日本のもののほうが多い。
わたしは何人だと言うのか。
あいつらは自分達の悍ましい思想を、主張を強化するために、恣意的やりたいからそれをやっているのは分かっているが、「お前/あいつは日本人か否か」というものの知性の無さというか乱暴さという粗暴さというか視野の狭さというかそういうものには腹が立つ。
国籍や居住している期間をもとにある程度の権利・自由の違いが生じる事は、一定のものに関しては、それは致し方ないと思うところはある。
わたしは、そこは選挙権や被選挙権だと思っている。
居住国の国籍者には選挙権・被選挙権を。居住国の国籍を持たぬ者は居住国での居住期間によって選挙権を。
というところだとは思っている。