千人、万人のフォロワーがいて、たんなる日常の呟きがそこに届き、瞬時かつダイレクトに未知の人々から反応が返ってきてしまうと言うのは、根本的なところで人間のロゴスに関する感覚を麻痺させ、狂わせてしまう。TwitterのRTと引用RT機能は言葉の届く距離と速度と範囲を、異様なまでに拡張させた。そこで最初に壊れたのは静かなディアローグの持続だった。「巨大匿名掲示板」もディアローグの営みを破壊した点では何一つ変わらないが、Twitterは、そこに個別アカウントという擬似的な主体性を担わせ、情報資本の拡散の規模を相互に競争させる論理を導入した点で新しい。広範囲に共有される情報はそれ自体が資本であり、Twitterは情報資本の多寡をユーザーに競わせる巨大な帝国である。Mastodonの平等的な連邦制は、その罠からいかにわれわれユーザーを逃れさせるか。そこに可能性をみている。