私は両親や廻りの考える「師=人生すべてに於いての師であり導く人、疑わずついていくべき人」と教わってきてずっと疑問で。師であっても間違ってれば聞いてみればいいし、答えに納得できなければ更に聞くか調べるか他に答えを求めれば良く、それがなぜ失礼なのかわからないと思ってた。
今私が言う「師匠」は専門の技術に関する師匠たちであって、すべてまるごと飲み込む相手ではないんだよね。疑いなくまるごと信じるのは、教えてくれる相手に対し真剣味足りないんじゃない?と思ってしまうしね
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xuerwho@warpday.net's status on Saturday, 24-Dec-2022 17:12:01 JST xuerwho -
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xuerwho@warpday.net's status on Saturday, 24-Dec-2022 17:15:27 JST xuerwho 私自身年々変わらないようで価値観や考え興味関心は変化するし、同じものを好んでも受け取り方見方変わるのに。一度「師」と決めたら信じて突き進むとか、怖くて無理だよね。それは人間不信の前に(私はその問題大きいけども)、人間は病気で人格変わる場合もあるのだから。盲目的についてくのは師ではなく「教祖」じゃないかなと思うんだよね
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