:hyuki: 本を書くことについて
私にとって本を書くってどういうことなんだろうなと言う疑問がふと浮かびました。
疑問といっても、自分がやっていることに対して懐疑的になったと言う意味の疑問ではありません。素朴に「どういうことなんだろうな」と言う意味の疑問です。純粋な疑問。
私は仕事として本を書いているので、もちろん生活のためと言う目的はあります。生活のために本を書いています。それは確かにそうです。そしてとても感謝なことです。
それから、ある意味では「教えるため」や「伝えるため」と言う目的もあるでしょう。教えるといっても、上から目線で偉そうに語ると言う意味の「教える」ではなくて、もうちょっとつつましやかに、「私はこんなことを学びました。あなたにお伝えしたいです」と言う意味の「教える」や「伝える」です。
だからこそ、一生懸命文章を磨いて少しでも正確に少しでも読みやすく、適切に伝わるように心がけるようにしているわけです。
そしてまた、今の説明にも出てきた通り、私自身が「学ぶため」と言う目的もわかります。私自身が、何かを学ぶために本を書いている。それは間違いなくありますね。
もう少し正確に言うならば、学ぶために本を書いていると言うよりも、自分が学んだことを確かめるために書いていると言う方が良いかもしれません。
自分が何かをしたり、学んだりした時点では、自分の中である程度完結や納得をしているわけです。学ぶと言う意味では、その段階で既に作業は1段落していることになります。でもどうやら、それでは収まりが悪いようです。
これまでに何回も経験していることですが、自分が知っていると思っていることや、自分が学んだと思っていることや、自分がわかっていると思っている事でも、いざ文章にまとめて本にしようとしてみると、ずいぶん不完全であることがよくわかります。
自分が持っている知識が不正確である事はたくさんありますし、ひどいときには全く正反対のことを考えていた場合だってあります。本質的な部分を誤解していたりするのもよくあることです。
別の言い方をするならば、本を書くことによって、自分の理解を確かなものにすることができるのです。自分の理解を確かなものにしないと書けないともいえます。もう少し柔らかめに言うならば、自分の理解した範囲でしか書けないとなるでしょう。
そういう意味で、自分が学んだことを確かめるために書くと言うのは、私が本を書く目的(もしくは効果)と言えそうです。
本を書くのは大変なことですけれど、自分の理解が確かなものになったり、ピントが外れていたもののフォーカスがきちんとあったり、しっかりした形を生み出してきたり。それを実感するのは言うまでもなく大きな喜びです。
そのような喜びがあるからこそ、本を書き続けていることができるのじゃないかなと思います。