私の気持ちが赤の他人に死んでほしくないと要請するならば、私には自分勝手に死ぬことを許すのはフェアじゃない。
私が今の社会が生きづらいと訴えることは後の人の生きづらさを軽減するかもしれない。
私がもっと昔に生まれていたら、きっと社会は私のことを救ってくれなくて、もっと生きづらい思いをしていたと思う。
多分、私の生きづらさは託されたバトンなのだ。
誰もが平等に生きやすい世界を作るための。
そう思えば私だって生きている意味があるじゃないか。
なんてことを考えた。
今日は冬至。
今日からどんどん陽が長くなる。