話し、恋し、遊ぶ「人間」が今、ものすごいスピードで消え去っている。近代的な価値観からいけば、それは「会話」じゃないし、それは「恋愛」じゃないし、それは「遊び」じゃない。究極の他律産業社会の到来。でも、「人間」は近代の主に西欧中心に発展したとされる独自の人間観なのであって、「人間」に包摂されないのが人間なのだから、怖がる必要はないのかもしれない。しかし我々はその推移、あわいにい生きていて「今、どっちの基準で生きればいいのかわからない」という葛藤がある。「人間」を演じろというプレッシャーがありつつ、でも現実にはもう「人間」するなんて古いし無理だとわかってる。