私もできるだけ当事者に寄り添いたいって思ってるけど、「当事者に寄り添って我が事に受け止める」ことと、「当事者が他者を攻撃することさえも肯定する」ことは、全く別の問題だ、と当事者じゃないからこそ言うべきだと思うんだよな。
当事者じゃないからこそできることを、非当事者はすべきだと思う。
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SO_pck (so_pck@mstdn.jp)'s status on Monday, 19-Dec-2022 21:45:07 JST SO_pck - moriteppei repeated this.
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SO_pck (so_pck@mstdn.jp)'s status on Monday, 19-Dec-2022 21:45:26 JST SO_pck 当事者への寄り添いから、当事者性の領有に滑り込まないためのものが、「学ぶこと」だと思うよ。スピヴァクあたりが言ってたと思うけど、学びながら「学び捨てる」ことを繰り返し続けることにしか、マイノリティと生きる方法はないと思う。それはマイノリティ自身もそうだと、自戒を込めて書く。
じゃないと、権力はすーーーーーーーーーーーーーーーーーーぐそういうのを都合よく使うから。マジで。構造の維持にすんげぇ役立てるから。
結論は最初から決まってる。権力はクソ。そのクソに抗うための方法を編みだすために、どうすべきか。