:hyuki: どうでも良い話を書くのは大切。
SNSや、掲示板や、ブログや、その他何でもいいんですが、文章を書いて公開する場所で、どうでも良い話を書くのは大切だと思っています。
この話は以前も書いただろうかとか、こんな文章を書いては他の人にくだらないと思われるんじゃないかとか、あるいはまた、もう少ししっかり調べてから考えをまとめて書こうとか。そのように考えること自体は全然悪いことでは無いのですが、そればかりではまずいと思っています。
買ったばかりのノートブックは綺麗で、まっさらで、どうせここに書くのならば、きちんとしたことを書いていきたいと思うのは人情です。しかしながら、それはしばしば、思い切って書くための足かせとなります。
最初から傑作をかける人やまとまったことを書ける人ならば良いのですが、そうではない人は、書きながらいろんなことを考えるわけです。書いてみることで、新たにわかることもありますし、実際に書いてみて、自分の考えが不足していることも発見したりするわけです。
そして、ここが大事なのですが、書き進めるためには書き始めないといけないわけです。一歩目がなければ二歩目もない。そういう話です。
特に、一旦自分が書いたものを編集することができるのであれば、何はともあれ書いてみるのはとても大事です。
特に、自分がどうでもいいと思っていることを題材にして書いてみるのは良いことです。なぜなら最初から気負うことがなくなるからです。
もっと良いのは、どうでも良いかどうかはさておいて、考えていることをそのまま書いてみることです。これが良いのは、自分の頭で考えるだけではなくて、書き、表された文字を、自分自身が見ることができるところにあります。
自分の頭の中にある考えは、不思議なことに直接見ることができません。まあ見ることができると言えなくは無いのですけれど、他の人が見るようには見ることができません。当たり前ですね。形となって外に出なければ他の人は見ることができないからです。
そして、自分が考えていることを、いわば後先考えず書いてみるというのは、自分の頭の中にあることを形として外に出す良い練習となります。
これは習慣です。
いつも、何かにつけ(内容が素晴らしいことであっても、くだらないことであっても)文章を書いているならば、それは必ず、「いざと言う時」にも役に立ちます。
何が「いざと言う時」なのかは、人によって随分違うでしょうけれど。
もちろん、普段からまずいことをいろいろ書いて炎上している人は、自重した方が良いかもしれませんけれどね…
そんなことを朝の散歩をしながら考えていました。
この文章はまた、#マストドン への投稿を #結城浩の作業ログ に転記するシステムのテスト文章も兼ねています。
https://log.hyuki.net